2019年4月より外国人労働力の受け入れが拡大されていくこととなりました。先日受講した職業紹介責任者講習でも、多くの方が外国人への職業紹介に関心を持たれていました。しかし、日本では他の国の文化や習慣、考え方などへの寛容性はまだまだ低いような気がしています。多くの方が希望をもって来られたにもかかわらず、誤解や偏見に悩むことがなければいいなあと思っています。

 私はタイとかかわって35年です。周囲を見ると、タイに対する受け止め方も様々ですし、時代とともに変化は感じますが、概ね、タイをかつての日本ととらえ、つまり、日本のようになる途上ととらえ、その独自の価値に対する評価は少ないように思います。 

 今から約25年前、日本で「タイ米騒動」、または、「平成の米騒動」と呼ばれる混乱がありました。1993年、日本は冷夏のため大変なコメ不足にみまわれていました。日本政府が各国にコメの輸出を打診したところ、タイ政府が快く引き受け、在庫を一掃する形でコメを輸出をしてくれました。しかし、タイ政府が善意で輸出した米であったにもかかわらず、当時の日本人のタイ米に対する抵抗感は根強く、あたかも異物が混入していたかのようなデマがでたり、調理することもなく廃棄してしまったりという事態が日本中で起きたのです。その後、タイ地元のコメの価格が高騰し、買えない人や餓死者がでるなどしたため、日本人のコメの扱い方に批判が集まり、日本製品不買運動にまで発展してしまいました。
 
 円高でモノもヒトもどんどん入って来るようになり、日本人の警戒感があったところに、最も守りたかったコメが入ってきてしまったので、その拒絶反応たるや凄まじいものがありました。また、タイのことを、まるでゲテモノを食べる国であるかのように、毎週毎週、面白おかしく放送する番組などもあり、タイの食品に対する拒否反応は大きなものでした。

 当時、東南アジアの経済発展がメディアで伝えられる機会も増えてきてはいたのですが、スラムやジャパゆきさん、洪水、伝染病に黄金の三角地帯と、ネガティブなニュースが伝えられることも多く、その印象からタイと言えば、汚い、貧しい、遅れてると罵る人は少なくありませんでした。未だに、ネガティブな印象だけを持っていたり、外国人がそもそも苦手という方もいて、極端に排他的な態度になる方やタイをさげすむ方も少なくありません。

 あの「米騒動」の後、この状況を少しでも変えていきたいなと思い、メディアで伝えられるタイの姿と違う、自分で住んで感じたタイの姿を紹介しようと考えました。次に②からご紹介するのは、1997年に、タイの素晴らしい点、尊敬できる点を伝えようとまとめていたものです。主に、タイの人々の多様性を認める力、異質なものとの共生力について述べています。情報は20年以上前のもので今とは違う点もあります。確か、福岡市アジアマンスの企画で「アジアの女性」についての発表を募っていたので応募しようと思い書いたものです。ですから、タイの女性に焦点を当てています。

 1997年、福岡アジア映画祭で「ビザと美徳」という映画が上映されました。日系アメリカ3世のクリス・タシマ氏が、第二次世界大戦中の蛮行からアメリカで否定される日本人の名誉を回復したいと、「善き日本人」もいたことを伝えるために作った「杉原千畝」についての映画です。この映画のエンディングには多くの日系人の支援者達の名前が連なっています。多くのアメリカの日系人たちも同じ思いだったのでしょう。この映画の趣旨に私も共感し、後に、この映画の上映と併せて、タイの良い点を伝える講座を行い始めました。私も同様に日本の中にあるタイへの偏見・差別をなくし、敬意を払っていただくには、タイの善き点を伝えていくことが大切だと考えたからです。それによって、周囲の見方ががらりと変わるかどうかはわかりませんが、自分が誇りを持つためには大いに役に立ったのではないかと思っています。20年以上前の文章ですが、どなたかのお役に立てば幸いです。