タイ国理解のキーワード

 

 タイ国について語られる時、米を主食とし仏教を信奉する。さらに、立憲君主制や非植民地体験など、日本との類似点が語られることが多い。この「似ている」という錯覚が、単に、タイ国をかつての日本と言う理解にとどめ、現実を誤認させているように思う。

 

 確かに、これらのことはタイ国を理解するキーワードであるが、この国での現実は類似していると思った点で最も日本との相違点を感じさせる。

 これらの点を詳しく見てみよう。

 

 

国王・宗教・国民

 

 現在のタイ人の民族意識・国民意識はタイの国旗に表れている。現在の国旗は、1917年に制定された。それまでは、赤地に白象を描いた旗が国旗として使われていたが、西洋化・近代化の波の中で単純・明解な図柄が求められ、三色旗が制定された。その三色旗の青・白・赤は、おのおの、国王・宗教・国民を示すとされる。

 

1.        国王

 

イ)  外交の天才

 

 近代の西洋帝国主義時代に周辺諸国が次々と植民地化される中、ラーマ5世は当時の国際状況を巧みに利用し、「独立維持」の偉業を果たした。その外交術は、後の2度の大戦や、戦後の東西冷戦、ベトナム戦争、冷戦終結と新国際秩序の発足と続く現在でも脈々と受け継がれている。

 

 ロ)安定の要

 

 現国王プミポン国王への尊敬、国民人気は高く、タイ王室は国家統合の象徴として欠かせない。そして、政治的にも欠かせない存在である。タイでは、1932年の立憲革命以後、クーデターが頻発していた。しかし、5年前(仏歴2535年)のような惨事は珍しく、大体、対立する権力者間での殺戮は見られない。欧州・中近東諸国や中国大陸の革命とは非常に異なっている。特に、国王の存在によって、政変があっても国民は社会の転覆と混乱の恐怖を持たないようだ。クーデター当日、ニュースを聞いた後でも、国民は日常と変わらない生活を送っているのが通例だ。前回の民主化闘争の際、国王の調停で最悪の事態を回避した。国王の威厳が最大限に発揮されたケースであり、国民は国王への信頼・尊敬の念を一層強めた。諸外国も国王の権威を実感した出来事だった。

 

 

2.        仏教

 

    王室と共にタイを支えているのは仏教(南方上座部仏教)である。信仰は自由であるが、国民の95%が仏教徒である。タイにおける仏教は単なる宗教ではなく、日常生活であり価値観であり、社会の在り方そのものである。タイの黎明期、スコータイ王朝は仏教を積極的に採り入れ統治の根幹とした。

 

 一つには為政者の統治手段という側面を持ちながら、仏教は純朴で素直な民衆の心に浸透し、この地の美しい精神風土を作っている。日本に住んでいると、飽和状態にありながら満ち足りない苛立ちを人々の中に感じる中で、タイの人々の足ることを知り、貧しくとも分かち合う姿、微笑み合う和やかさを見ると、人間が共に生きるということの本来の姿、また、宗教本来の実践を感じずにはいられない。

 

   タイの仏教では、僧侶組織サンガの中では「解脱志向の仏教実践」が行われる。苦悩を生み出す原因である執着を断つことによる輪廻界からの連鎖の脱却(ニッパーン)を達成するために、仏陀の定めた227の戒律に従った修行生活を送る。在家の仏教徒は輪廻転生の秩序体系の中で、できるだけ好ましい地位に生まれることが目標にすえられる。功徳(ブン)を積むことが善因となって善果を生み、功徳を積まなければ、それが原因となって悪果を生むという考えのもと、将来のために自分の行為をブンの尺度ではかりながら生活をしている。出家・戒律の順守・布施・寄進といったサンガ維持の行為も高いブンをもたらす。男性は人生のある時期仏門に入る慣行がある。

 

 

 3. 国民

 

 イ)「水に魚あり、田に米あり」

 

 「スコータイは大変良い、水には魚がおり、田には米がある。国王は人民から税金を取らない。...象を売買しようとするものは象の商売をし、馬を売買しようとするものは馬を取引した。(商売の自由があった。)人々の顔は明るく輝いている。」現在の国土の中心となる地に国家が形成された13世紀初めのスコータイ朝のラムカムヘーン王の治世を記録した碑文で、タイの自然の豊かさを謳う成句としてしばしば引用される。

 

 この風土の中で、人々は深刻な飢餓に見舞われることもなく、明るく穏やかな国民性を培ってきたとされる。日常生活では「サヌック」=楽しいや、「サバーイ」=くつろぎに大きな価値を置き、微笑を絶やさない。

 

 タイ人は「ジャイ・エン」、つまり、冷静なことを美徳としている。タイで生活した人ならば誰でも知っている言葉に「マイ・ペン・ライ」がある。相手の恐縮する心や「ジャイ・ローン」、つまり、かっかするこころを和らげるために使われる。また、「キー・キヤット」怠け者を嫌う心情も持っている。日本とは違うように見えるが、やはり、勤勉は美徳とされる。

 

 さらに、上からの統制や集団のプレッシャーによって行動するのではなく、自らの心のままに行動するという性向がある。他人への干渉もほとんど見られない。これは、タイ人独特の個人主義を示す「プン・トワ・エーン」=自らに頼るに表されていると思う。

 

 

ロ)「緩やかな構造の社会」

 

 「菊と刀」の著者R・ベネディクトや「須恵村」の著者J・エンブリーが、タイ社会の組織原理の緩やかさやタイ人の行動様式の柔軟性に着目して、タイを「緩やかな構造の社会」と呼んだ。集団志向的な日本やベトナム社会、罪の文化に基礎を置いて個人主義的傾向の強い西欧社会と比べて、タイ社会には独特の社会構造と行動様式があるというのだ。確かに、タイで生活していると、日本と同じような制度や規則であっても、その制度と規則に、いつも余裕と人間の息づかいが感じられるような緩やかさが存在している。

 

 

 ハ) 同化力・独自の文化

 

 貧富の差や山岳地方の少数民族の同化の問題を抱えながらも、周囲の国々と比較すると非常に同化、あるいは、融和がうまくいっている。カンボジアでのベトナム人に対する憎悪感や、インドネシアやマレーシアにおける民族対立(特に、中国系民族との対立)のような問題はほとんどなく、国家としての一体感が保たれた安定した社会である。出自による待遇の違いのないまれに見る融和社会である。また、外国人へ門戸を開きつつ、独自の文化にも誇りを持って守り続けている国という印象も強い。日本が独自の文化を過少評価し、西洋化を進めた過程や、国際化を唱えながらも国民の外国人に対する閉ざされた心情とは正反対のように見える。