微笑の国タイで暮らして

タイ人の夫と結婚して35年。タイで暮らしたのは約2年で、ほとんどは日本で生活していますが、その中で、日本の方がタイを見る視線に疑問を感じることもしばしばです。ブログでは私の見たタイ、感じたタイについて書いています。2019年はタイの方もたくさん日本に来られると思うので、相互理解が進めばいいなと考えています。

2019年02月

 2019年4月より外国人労働力の受け入れが拡大されていくこととなりました。先日受講した職業紹介責任者講習でも、多くの方が外国人への職業紹介に関心を持たれていました。しかし、日本では他の国の文化や習慣、考え方などへの寛容性はまだまだ低いような気がしています。多くの方が希望をもって来られたにもかかわらず、誤解や偏見に悩むことがなければいいなあと思っています。

 私はタイとかかわって35年です。周囲を見ると、タイに対する受け止め方も様々ですし、時代とともに変化は感じますが、概ね、タイをかつての日本ととらえ、つまり、日本のようになる途上ととらえ、その独自の価値に対する評価は少ないように思います。 

 今から約25年前、日本で「タイ米騒動」、または、「平成の米騒動」と呼ばれる混乱がありました。1993年、日本は冷夏のため大変なコメ不足にみまわれていました。日本政府が各国にコメの輸出を打診したところ、タイ政府が快く引き受け、在庫を一掃する形でコメを輸出をしてくれました。しかし、タイ政府が善意で輸出した米であったにもかかわらず、当時の日本人のタイ米に対する抵抗感は根強く、あたかも異物が混入していたかのようなデマがでたり、調理することもなく廃棄してしまったりという事態が日本中で起きたのです。その後、タイ地元のコメの価格が高騰し、買えない人や餓死者がでるなどしたため、日本人のコメの扱い方に批判が集まり、日本製品不買運動にまで発展してしまいました。
 
 円高でモノもヒトもどんどん入って来るようになり、日本人の警戒感があったところに、最も守りたかったコメが入ってきてしまったので、その拒絶反応たるや凄まじいものがありました。また、タイのことを、まるでゲテモノを食べる国であるかのように、毎週毎週、面白おかしく放送する番組などもあり、タイの食品に対する拒否反応は大きなものでした。

 当時、東南アジアの経済発展がメディアで伝えられる機会も増えてきてはいたのですが、スラムやジャパゆきさん、洪水、伝染病に黄金の三角地帯と、ネガティブなニュースが伝えられることも多く、その印象からタイと言えば、汚い、貧しい、遅れてると罵る人は少なくありませんでした。未だに、ネガティブな印象だけを持っていたり、外国人がそもそも苦手という方もいて、極端に排他的な態度になる方やタイをさげすむ方も少なくありません。

 あの「米騒動」の後、この状況を少しでも変えていきたいなと思い、メディアで伝えられるタイの姿と違う、自分で住んで感じたタイの姿を紹介しようと考えました。次に②からご紹介するのは、1997年に、タイの素晴らしい点、尊敬できる点を伝えようとまとめていたものです。主に、タイの人々の多様性を認める力、異質なものとの共生力について述べています。情報は20年以上前のもので今とは違う点もあります。確か、福岡市アジアマンスの企画で「アジアの女性」についての発表を募っていたので応募しようと思い書いたものです。ですから、タイの女性に焦点を当てています。

 1997年、福岡アジア映画祭で「ビザと美徳」という映画が上映されました。日系アメリカ3世のクリス・タシマ氏が、第二次世界大戦中の蛮行からアメリカで否定される日本人の名誉を回復したいと、「善き日本人」もいたことを伝えるために作った「杉原千畝」についての映画です。この映画のエンディングには多くの日系人の支援者達の名前が連なっています。多くのアメリカの日系人たちも同じ思いだったのでしょう。この映画の趣旨に私も共感し、後に、この映画の上映と併せて、タイの良い点を伝える講座を行い始めました。私も同様に日本の中にあるタイへの偏見・差別をなくし、敬意を払っていただくには、タイの善き点を伝えていくことが大切だと考えたからです。それによって、周囲の見方ががらりと変わるかどうかはわかりませんが、自分が誇りを持つためには大いに役に立ったのではないかと思っています。20年以上前の文章ですが、どなたかのお役に立てば幸いです。






 

 

 

 

 
 
 

微笑の国「タイで暮らして」

―見事な共生社会―

 

「国際化」と異文化理解  
                                              Sooksommai.Tomoko 1997

 

 「国際化」という言葉が使われるようになって久しい。日本では、まず、英語の能力がその条件として挙がることが多い。しかし、世界中を見渡すと英語を介さない人の方が多い。「共通語」の習得が必要なことも確かだが、得てして、「国際化」を英語を使う国々の尺度(主に、米国)で、物事の価値を測っていくことと混同しているようにも見える。世界には多様な民族・文化・言語がある。それらの価値を同等に評価し、尊重できる感性と能力を養うことが「国際化」への第一歩ではないだろうか。

 

   20世紀は西洋の科学合理主義的な価値観や経済システムが世界中に浸透した世紀だと言われる。最近は東南「アジア」の経済発展もメディアで伝えられることが増えてきた。以前のような「秘境」的イメージは薄れたとは言え、依然、東南「アジア」は近代経済システムに乗り遅れた後発国として語られることが多く、その独自の文化や価値に視線が注がれることは少ない。

 

  日本企業の進出や、円高によって多くの日本人ビジネスマンや観光客がタイを訪れるようになった。また、私たちは日本の生活の中でタイのモノを手にし、タイの食べ物を食べている。日本で働くタイ人や留学生も増え、国内にあっても交流は増えたはずである。しかし、私たちは正確なタイ国観に近づいただろうか。未だ、表面的な文化交流の段階で理解へは至っていない。私自身も理解など到底なしえていない。しかし、メディア等で語られるタイ国観とは違う印象を持っているのでそれを紹介したい。

 

 それは、見事な共生社会であったことである。男女、民族、そして、教育、日常生活、そのほか、様々な場面で見られる異質なものとの見事な融和・共生。ここでは、その中の男女の共生についてお伝えしたい。



タイ国理解のキーワード

 

 タイ国について語られる時、米を主食とし仏教を信奉する。さらに、立憲君主制や非植民地体験など、日本との類似点が語られることが多い。この「似ている」という錯覚が、単に、タイ国をかつての日本と言う理解にとどめ、現実を誤認させているように思う。

 

 確かに、これらのことはタイ国を理解するキーワードであるが、この国での現実は類似していると思った点で最も日本との相違点を感じさせる。

 これらの点を詳しく見てみよう。

 

 

国王・宗教・国民

 

 現在のタイ人の民族意識・国民意識はタイの国旗に表れている。現在の国旗は、1917年に制定された。それまでは、赤地に白象を描いた旗が国旗として使われていたが、西洋化・近代化の波の中で単純・明解な図柄が求められ、三色旗が制定された。その三色旗の青・白・赤は、おのおの、国王・宗教・国民を示すとされる。

 

1.        国王

 

イ)  外交の天才

 

 近代の西洋帝国主義時代に周辺諸国が次々と植民地化される中、ラーマ5世は当時の国際状況を巧みに利用し、「独立維持」の偉業を果たした。その外交術は、後の2度の大戦や、戦後の東西冷戦、ベトナム戦争、冷戦終結と新国際秩序の発足と続く現在でも脈々と受け継がれている。

 

 ロ)安定の要

 

 現国王プミポン国王への尊敬、国民人気は高く、タイ王室は国家統合の象徴として欠かせない。そして、政治的にも欠かせない存在である。タイでは、1932年の立憲革命以後、クーデターが頻発していた。しかし、5年前(仏歴2535年)のような惨事は珍しく、大体、対立する権力者間での殺戮は見られない。欧州・中近東諸国や中国大陸の革命とは非常に異なっている。特に、国王の存在によって、政変があっても国民は社会の転覆と混乱の恐怖を持たないようだ。クーデター当日、ニュースを聞いた後でも、国民は日常と変わらない生活を送っているのが通例だ。前回の民主化闘争の際、国王の調停で最悪の事態を回避した。国王の威厳が最大限に発揮されたケースであり、国民は国王への信頼・尊敬の念を一層強めた。諸外国も国王の権威を実感した出来事だった。

 

 

2.        仏教

 

    王室と共にタイを支えているのは仏教(南方上座部仏教)である。信仰は自由であるが、国民の95%が仏教徒である。タイにおける仏教は単なる宗教ではなく、日常生活であり価値観であり、社会の在り方そのものである。タイの黎明期、スコータイ王朝は仏教を積極的に採り入れ統治の根幹とした。

 

 一つには為政者の統治手段という側面を持ちながら、仏教は純朴で素直な民衆の心に浸透し、この地の美しい精神風土を作っている。日本に住んでいると、飽和状態にありながら満ち足りない苛立ちを人々の中に感じる中で、タイの人々の足ることを知り、貧しくとも分かち合う姿、微笑み合う和やかさを見ると、人間が共に生きるということの本来の姿、また、宗教本来の実践を感じずにはいられない。

 

   タイの仏教では、僧侶組織サンガの中では「解脱志向の仏教実践」が行われる。苦悩を生み出す原因である執着を断つことによる輪廻界からの連鎖の脱却(ニッパーン)を達成するために、仏陀の定めた227の戒律に従った修行生活を送る。在家の仏教徒は輪廻転生の秩序体系の中で、できるだけ好ましい地位に生まれることが目標にすえられる。功徳(ブン)を積むことが善因となって善果を生み、功徳を積まなければ、それが原因となって悪果を生むという考えのもと、将来のために自分の行為をブンの尺度ではかりながら生活をしている。出家・戒律の順守・布施・寄進といったサンガ維持の行為も高いブンをもたらす。男性は人生のある時期仏門に入る慣行がある。

 

 

 3. 国民

 

 イ)「水に魚あり、田に米あり」

 

 「スコータイは大変良い、水には魚がおり、田には米がある。国王は人民から税金を取らない。...象を売買しようとするものは象の商売をし、馬を売買しようとするものは馬を取引した。(商売の自由があった。)人々の顔は明るく輝いている。」現在の国土の中心となる地に国家が形成された13世紀初めのスコータイ朝のラムカムヘーン王の治世を記録した碑文で、タイの自然の豊かさを謳う成句としてしばしば引用される。

 

 この風土の中で、人々は深刻な飢餓に見舞われることもなく、明るく穏やかな国民性を培ってきたとされる。日常生活では「サヌック」=楽しいや、「サバーイ」=くつろぎに大きな価値を置き、微笑を絶やさない。

 

 タイ人は「ジャイ・エン」、つまり、冷静なことを美徳としている。タイで生活した人ならば誰でも知っている言葉に「マイ・ペン・ライ」がある。相手の恐縮する心や「ジャイ・ローン」、つまり、かっかするこころを和らげるために使われる。また、「キー・キヤット」怠け者を嫌う心情も持っている。日本とは違うように見えるが、やはり、勤勉は美徳とされる。

 

 さらに、上からの統制や集団のプレッシャーによって行動するのではなく、自らの心のままに行動するという性向がある。他人への干渉もほとんど見られない。これは、タイ人独特の個人主義を示す「プン・トワ・エーン」=自らに頼るに表されていると思う。

 

 

ロ)「緩やかな構造の社会」

 

 「菊と刀」の著者R・ベネディクトや「須恵村」の著者J・エンブリーが、タイ社会の組織原理の緩やかさやタイ人の行動様式の柔軟性に着目して、タイを「緩やかな構造の社会」と呼んだ。集団志向的な日本やベトナム社会、罪の文化に基礎を置いて個人主義的傾向の強い西欧社会と比べて、タイ社会には独特の社会構造と行動様式があるというのだ。確かに、タイで生活していると、日本と同じような制度や規則であっても、その制度と規則に、いつも余裕と人間の息づかいが感じられるような緩やかさが存在している。

 

 

 ハ) 同化力・独自の文化

 

 貧富の差や山岳地方の少数民族の同化の問題を抱えながらも、周囲の国々と比較すると非常に同化、あるいは、融和がうまくいっている。カンボジアでのベトナム人に対する憎悪感や、インドネシアやマレーシアにおける民族対立(特に、中国系民族との対立)のような問題はほとんどなく、国家としての一体感が保たれた安定した社会である。出自による待遇の違いのないまれに見る融和社会である。また、外国人へ門戸を開きつつ、独自の文化にも誇りを持って守り続けている国という印象も強い。日本が独自の文化を過少評価し、西洋化を進めた過程や、国際化を唱えながらも国民の外国人に対する閉ざされた心情とは正反対のように見える。



タイの女性・家族

 

イ)       女性と高等教育と社会進出

 

 タイ国は日本と同様に古くから栄えてきた国である。日本の明治維新に当たる時期、現在でも名君として敬愛されているラーマ5世(18531910)は、ヨーロッパからの文化・技術の導入に努め、政治機構の改革・官吏養成学校の設立による教育制度確立など、政治・社会、さらに、軍隊の近代化を推し進めた。

 

 そのあとを継いだラーマ6世は、タイで初めての総合大学設立に尽力したことで知られるが、女性の社会進出には特別の理解を示し、その後開学された大学は、いずれも男女共学である。現在もタイには女子大学というものはない。初等・中等教育にわずかに別学があったが、共学への移行が進んでいる。

 

 また、立憲革命後(1932年)、政治的実権を握ったピブーン・ソンクラーン元帥も女性の地位向上をナショナリズム運動の一環にしていた。彼は女子の教育機会の増大や公務員としての採用拡大に力を注いだ。このような経緯で、タイでは近代的エリート教育が始まった当初から女性の進出が進んでいた。これが、アジアはもちろん世界においても、社会に出て働いている女性の割合が、高い水準にあると言われている所以である。

 

 記憶に新しい1992年の民主革命によって誕生したチュアン政府も男女の機会均等政策を優先させ、行政の長として女性を任命するなど、諸策を練っているところである。

 

 資料

タイにおける大学以上の高等教育習得者(卒業者数%

1

 

1986

1987

1988

1989

2

男性

45.5

45.4

45.3

45.3

3

女性

54.5

51.6

52.7

52.7

Thailand Figures 1992-93, Alpha Research Co,Ltd.

 

 また、大学などにおける女性教員の割合は、日本がわずかに8%(1975)1992年でも13パーセントの低率である。それに対して、タイでは56%(1975)である。現在では、8割が女性と言われている。このことからも女性の高学歴、職場への進出が理解できるであろう。

 

 

ロ)       タイにおける性差役割

 

 では、伝統的にタイの家族、そして、女性の役割はどうであったのか見てみよう。タイ族は稲作を中心とした農耕民族であった。チャオプラヤー川沿いの肥沃なデルタには大穀倉地帯が広がっている。GDPにおける工業分野の比重が増した現在でも、国民の60%は農民である。

 

 タイ族は、現在の中国南部・雲南省より稲作の適地を求めて、緩やかな速度で移動してきた。より豊かな土地を見つけるとともに、戦争を避けながら南下し、役1千前、現在のタイ、つまり、インドシナ半島の中央部に大きな大国を建て勢力を伸ばしてきた。一時期には、マレー半島全体と、さらに、インドネシアの一部にまでタイ王国の領土を広げたこともある。タイという言葉の意味は「自由」・「独立した」である。過去に他国と戦争をした経験が少なく、むしろ、外交だけで国の独立を守ってきたとも言われる。そういった性格を背景に、周りの文化をうまく取り入れつつ、調和した新しい形の文化・言語を形成してきたのである。

 

 さて、このタイの稲作社会では男女共平等に農作業を行い、国の繁栄を築いてきた。たまに、周りの国と戦争をするような際は、男性は戦場に出て戦い、女性は村に残り農作業を行っていた。

 

 日本と大きく違うのは、タイは昔から母系的社会であったことである。北部では「家の霊」と女性が結びついていて、異なる母系集団の女性が同じ家に住むと、彼女らの「家の霊」同士が衝突してしまうと言われていいる。このため一般的に結婚したら男性が女性側の家に住むという慣習である。その他の地域でも母方要素の強い双系的形態が目立っている。双系的と言うより、出自にこだわったものではなく、都合の良い方と生活している捉える方が分かり易いだろう。

 

 

 アメリカの人類学者のジョン・エンブリーは、タイ社会の組織原理の緩やかさや行動の柔軟性から、タイを「緩やかな構造を持った社旗」として特色づけたが、性差の観念にもそれは現れている。タイでは男女の分業があまり明確に見られないということが、17世紀以来、西欧からタイを訪れた人々の間では、一つの話題になっていたという。1950年代にタイ農村を調査したアメリカのある人類学者は、男女間にあまり明確な分業が見られないことを、インド、中国、日本、フィリピンやインドネシアなど、他のアジアの国々と比較する時に表れる、タイ文化の大きな特色であると述べている。日本で現在も一般に女性の仕事とされる炊事・洗濯・買い物・兄弟の世話について、タイでは男女どちらの子供にも教えるべきだと考える家庭が多い。また、日本で問題になっていた家庭科についてだが、中学校より男女とも選択科目の一つとされ、自由に受講しているそうである。男性が家事に参加することは、日本より当然のこととされている。逆に、女性が外で働くことも特別視されていない。

 

 タイ文化の中で、男女差が最も厳しいかたちで現れるのは、インド伝来の仏教の世界であるが、それを除いて、男女平等というタイの伝統が基本的には続いていると言える。

 

ハ)       タイの家族

 

   家族の在り方は、「核家族」、「拡大家族」共に見られる。直系家族だけでなく、様々な親族の組み合わせで住むことが非常に多い。親・兄弟姉妹に加えて、叔父・叔母・伯父・伯母・兄弟姉妹の子供などである。互いの干渉は少ないが、親族の絆意識は強い。女性が外で働く場合、その親が孫の面倒をみて、若い夫婦が一家を支えるというように役割分担することも多く、老人だけが孤立した社会を作るということは少ない。タイ社会では年長者に対する尊敬という美徳がある。儒教的な厳しさもなく、長老性社会というわけでもない。やはり、緩やかな伝統である。しかし、この中で老人は日本の場合より、かなり大事にされているように見える。また、伝統が社会の中に保たれているので、仏教に関する行事など老人の知恵が活きる場面がある。

 

 家族の中で、親子・兄弟姉妹とも相互に平等な関係にあり、親孝行は美徳とされるが、子どもの父親への一方的な服従が強調されることはない。兄弟姉妹も男女の別に関係なく待遇は同じである。例えば、親の事業を継ぐのは長男に限られているわけではなく、子どもの性格と能力によって跡継ぎを決める。財産の分け方も当分である。

 

 タイには祖先とか、数代さかのぼる家族という観念が薄いと言われる。家の姓というものは、ラーマ6世が1912年に官僚制度の整備の必要上から制定するまで一般的ではなく、現在も公式の場では名前で呼び、親しい人や職場の人でさえ苗字は知らないのが普通だ。改姓も容易だそうで、姓に対する意識は日本とかなり違う。また、夫と財産を別々に管理するために、結婚届けを出さない事実婚も多い。(もともと事実婚の慣習が残る地域もある。)制度より現実志向、しかも周囲が寛容なタイらしい話である。

 

    こういった環境の中での、タイ女性の家庭でのあり方は日本と随分違う。昔はタイでも「男性は象の前足、女性は象の後ろ足」、つまり、女性は男性の方を見て、それに自分の行動を合わせるという考え方が一般的であったらしい。しかし、今ではもともとの平等意識や女性の高学歴、型にはまらない価値観に支えられ、男女ともに外へ出て働き、それぞれの持ち味を最大限に引き出そうとする働き方が多くみられる。女性の方が仕事において有能であれば、男性よりも高いポストに就いて、より高い給料をもらい、家計を支えるということもしばしばである。また、ある程度の役職に就いた女性が駐在員として海外に赴任するにあたり、仕事を持った夫が休職してついていくことも多い。結婚して出産した女性が自分の親と子供を夫に任せ留学するということも珍しくない。女性が家事一切をし、子どもの面倒を見るといった、決まりきったパターンで結婚生活を送っているわけではない。同じようなケースが日本であれば、周りがどのような評価をするであろうか。

 

 共働きの場合、家事は家政婦に子どもは親に任せるケースも多い。一般的に、女性が仕事上の用事の時には、男性も家事・育児を担当する。タイでは、食事は外で買ってきたり、外食で済ませることが多い。おかずは屋台や、家の一階をお店にした総菜屋などで買うが、食事の種類も非常に豊富である。材料を選んで作ってもらうこともでき、家庭料理と変わらない。食材が豊富であり味もかなり良いが、店が簡素なので、値がはることもない。もちろん、デパートやスーパーマーケットでも総菜は売っている。共働きで家政婦がいなくても、食事の支度に追われることはない。

 

    外食するとき、タイでは家族・親族と行くことが多い。レストランの中心が公園になっているのをよく見るが、これは、子どもたちは食事を済ませて遊び、親たちはゆっくり食事を楽しむようにできているためだ。暑い国なので夕方から出かける習慣は以前からのもので、店も遅くまで開いている。洗濯はドライクリーニングだけでなく、普通の家庭の洗濯を肩代わりするような簡単な洗濯屋がいる。朝、洗濯物を取り来て、アイロンもかけて夕方持ってきてくれる。値段も安く利用し易い。社会分業が進んでいると言えないだろうか。

 

 タイでは、欧米の影響でLadyFirstの習慣がある。例えば、食事会の時など、先に女性に席についてもらい、後から男性の席を決める。また、家族で買い物に行く時も、必ず夫が荷物を運ぶようだ。もともと、タイの人々は、老人・妊婦・低学年の生徒や乳幼児、そして、女性や障害者たちに気配りがあるように見える。日本に来たタイ人が乗り物のシルバーシートに驚くが、これはタイでは席を譲ることが当たり前だからだ。また、ホームパーティーや友人・知人との会食も多い。職場の昼食会や忘年会などでも、夫婦だけでなく、親や子供も同伴することが多い。女性の職場の会食にも同様に夫や家族が同席している。職場の男性だけ、女性だけという会食の方が珍しい。

 

 タイでは女性への接し方、女性を認める態度が日本とは大きく違っている。また、欧米とも違うと思う。比較すると女性の持っているパワーを十二分に引き出せる環境のように見える。

 

 ちなみに、タイの学校では混合名簿だし、並び方も男女別にこだわらないそうだ。日本で男女平等が唱えられて久しい。その実現のために尽力されている方も多い。しかし、日本を見ていると男女の別だけでなく、とかく人の生き方を型にはめすぎて、他人の自己実現を阻んでいるように見えて仕方がない。私がタイにいた頃、日本の一人当たりのGDPが世界2位になった。アジアでは1位を続けていた。数字上は豊かな国になった。しかし、おのおのの個性を認める幅も大きく、それだけ自己実現の可能性が高く、互いに満足しあっている国に暮らして、どちらが豊かなのだろうという疑問は今も変わらない。



新しい情報
◇夫婦別姓について

タイ王国の旗 タイ
現在は選択制。1913年の個人姓名法により国民全員が名字(姓)を持つことが義務化された。同12条では妻は夫の姓を用いると定められていたが2003年にタイの憲法裁判所は「夫の姓を名乗るとする条項は違憲である」との判決[496]を出し、2005年に同12条が改正された。現行の同12条では夫婦の姓は合意によりいずれの姓を選ぶことができ、またそれぞれの旧姓を選ぶことも可能となった。(Weblio辞書より)また、両方の姓を合わせた結合姓や新しい姓を作ることもできる。もともと、事実婚、別姓が多い。

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